崇峻天皇倉梯柴垣宮伝承地
すしゅんてんのう くらはししばがきのみや でんしょうち
(Kurahashi-Shibagaki Traditional Palace Ruins of Emperor Sushun)
【P-NR027】探訪日:2022/6/13
奈良県桜井市倉橋
【MAP】
〔駐車場所〕
第32代・崇峻天皇の宮跡伝承地とされる。587(用明天皇2)年、伯父にあたる大臣の蘇我馬子に推薦され即位した。磯城嶋や磐余といった倭王権成立以来の伝統的な地ではなく、倉梯という山間部に大臣などの臣下とは距離を置くかたちで宮を造営した。やがて、后妃問題,宗教政策,地方支配,対外戦争も含めた外交問題などで馬子らとの対立が激化する。592(崇峻天皇5)年、馬子の暗殺命令に従って偽りの儀式の席で東漢駒が天皇を暗殺、確定しているうちでは天皇が臣下に殺された唯一の例である。その後、東漢駒も馬子に殺害される。
崇峻天皇の陵は宮内庁により南西約150mの倉梯岡陵に比定されている。