高台寺
こうだいじ(Kodai-ji Temple)
【T-KT032】探訪日:2003/10/16
京都府京都市東山区下河原町526 <📲:075-561-9966>
【MAP】
〔駐車場所〕
1606(慶長11)年、豊臣秀吉の正室であった北政所が秀吉の菩提を弔うため、曹洞宗の弓箴善彊を開山として建立した。寺号は北政所の落飾後の院号・高台院にちなむ。
寺院建立には徳川家康も支援し、まずこの地にあった岩栖院を南禅寺境内に塔頭として移転させ、1605(慶長10)年には高台院の実母・朝日局が眠る康徳寺をこの地に移転させて新たな寺院として高台寺を建立した。高台寺の西側には自らの屋敷と甥の木下利房の屋敷を造営することとし、伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭を移築して高台院屋敷とした。
1624(寛永元)年7月、高台寺は建仁寺の三江紹益を中興開山に招聘し、曹洞宗から臨済宗に改宗している。高台院の兄の木下家定は建仁寺及び三江紹益と関係が深く、家定の8男・周南紹叔が三江紹益のもとで出家していることもこの改宗と関連するといわれる。同年9月6日に高台院が亡くなり、1632(寛永9)年には高台院屋敷は木下利房によって高台寺の塔頭・圓徳院に改められ、以降は木下家の菩提寺となっている。
1789(寛政元)年2月9日、高台寺で火災が発生し小方丈や庫裏などが焼失。1795(寛政7)年に圓徳院にあった北政所化粧御殿を高台寺の小方丈にするために解体、移築が行われた。圓徳院には代わりとして新たに北書院が建立されている。しかし、小方丈となった北政所化粧御殿は1863(文久3)年7月26日に討幕派の志士らに放火されて焼失している。
近世末期から近代に至る数度の火災で仏殿や方丈などを焼失し、創建時の建造物で現存しているのは、開山堂,霊屋,茶室の傘亭と時雨亭だけである。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(高台寺庭園) |
関連時代 | 江戸時代:前期 | 江戸時代:中期 | 江戸時代:後期 |
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関連年号 | 1605年・1606年・1624年 | 1789年 | 1863年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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北政所(高台院) | G147 | 豊臣秀吉 | ZZ01 | 弓箴善彊 | **** |
徳川家康 | TG01 | 木下利房 | H165 | 三江紹益 | **** |
木下家定 | H165 |
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▲庫裏
▲観月台(楼船廊の途中)と開山堂
▲開山堂
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▲霊屋
▲傘亭
▲遺芳庵
▲方丈
▲方丈
▲勅使門
▲勅使門