押切城跡
おしきりじょうあと (Oshikiri Castle Ruins)
【C-AC510】探訪日:2022/5/18
愛知県名古屋市西区押切2丁目5
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、鎌倉時代に大屋佐渡守によって築かれ、代々の大屋氏が居城とした。16世紀前半に今川氏豊が柳ノ丸(のちに那古野城)を築くと、当時の城主・大屋秋重は氏豊の与力として今川氏に従属した。しかし、1538(天文7)年に織田信秀が那古野城を攻略した際に押切城も攻められ落城し廃城となったとされる。 1560(永禄3)年、桶狭間の戦いに勝利した織田信長は城跡の前の美濃路を通って清洲城へと凱旋したと伝わる。 押切城は美濃路に沿う現在の白山神社一帯説(『日本城郭大系』)と250mほど東南の妙見寺北東付近説(『愛知県中世城館跡調査報告』)があるが、いずれも城跡の遺構は残されていない。
【史跡規模】
【指 定】【国 宝】 【国重文】
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▲白山神社
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▲少将稲荷
▲信長が桶狭間の戦い後に美濃路を凱旋したことを記す
▲妙見寺(ビル)
▲妙見寺
▲妙見寺の北東部