八幡平城(新野古城)跡

はちまんだいらじょう(にいのこじょう)あと (Hachimandaira Castle[Niino Old Castle] Ruins)

【C-SZ026】探訪日:2015/10/23・2022/4/2

【C-SZ026】八幡平城跡 静岡県御前崎市新野

【MAP】

〔駐車場所〕 想慈院の駐車場が利用できる。また、駐車場に案内板がある。

【C-SZ026】八幡平城跡

   築城年代は定かではないが、この地の土豪である今川系新野氏の居城だったとされる。のちに新野氏が室町時代中期から後期に舟ヶ谷城を築くが、その後も詰城として維持された。そのため舟ヶ谷城は新野新城、八幡平城は新野古城とも呼ばれている。
 当初は八幡平のみの単郭であったとされるが、現在の城址には二重堀切や馬出し,横堀など武田氏独特の築城術の遺構が残り、武田氏による改修が行われたのは確実である。武田勝頼が1574(天正2)年に高天神城を攻略して以降、1578(天正6)年頃、滝堺城から高天神城への軍道の抑えの城として改修,利用したとみられる。しかし、1581(天正9)年、徳川方の攻撃による高天神城落城とともに廃城になった可能性が高い。
 八幡平城は現在の想慈院の西にある丘陵に築かれており、南北約600m,東西400mと広大で、南西の主郭(八幡平:標高96.7m)と北東の二郭で構成されている。主郭は四方に伸びる尾根を堀切で遮断し、東側面に二段の横堀を設けている。主郭から北へ堀切,二重堀を隔てた所が二郭で、北と西に堀切があり、東側面に横堀を設けている。
 現在は登山道が整備され、大手登り口と想慈院登り口の2ヶ所がある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1578年・1581年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
新野氏 G3** 武田勝頼 G433

 

【C-SZ026】八幡平城跡
 

 

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▲墓地西から反時計回りの探訪

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▲二郭東の堀切(横堀に続く)

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▲横堀

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▲二郭の北の堀切

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▲二郭北の二重堀

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▲堀切

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▲堀切

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▲二郭へ

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▲二郭

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▲二郭西の堀切

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▲二郭と主郭の間の堀切

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▲主郭北端

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▲主郭東下の帯曲輪

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▲主郭西の堀切

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▲主郭から大手口へ(主郭南端)

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▲主郭南の堀切

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▲馬出し跡

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▲馬出し跡

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▲主郭東の横堀

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▲大手口へ下りる

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▲大手口

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▲想慈院

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▲想慈院