黒田家代官屋敷
くろだけだいかんやしき (Kuroda Daikan's Residence)
【R-SZ003】探訪日:2015/10/24
静岡県菊川市下平川862
【MAP】
〔駐車場所〕
徳川家4千石の旗本で当地を治めた本多助久の代官となった黒田家が築いた屋敷である。黒田家が当地に住したのは永禄年間(1558~69年)とされ、黒田義則が現在地に縄張りを行い居住したのが始まりと伝わる。
宅地は南北約100m,東西約80mで周囲に濠をめぐらし、南に長屋門を開き、その東脇に米蔵が建つ。門の北側の敷地ほぼ中央に主屋が建ち、その背後に東蔵,西蔵が並んで建つ。
現在の主屋は、桁行21.6m,梁間14.1mの寄棟造,桟瓦葺で、1854(安政1)年の安政東海地震後の1861(文久1)年頃に再建されたものであると考えられている。太い柱を多数立て、建物の中心部には桁行方向に4尺(約1.2m)幅で2列の柱列があり、地震に備えた堅固な構造としている。東側を土間とし、床上部は南側は中の間,仏間,玄関の間,客座敷とし、北側は台所,茶の間,納戸などの内向きの空間とする。接客空間である玄関の間と客座敷は書院造とする。
長屋門は主屋よりもさらに古い18世紀中頃の建築とされる。桁行20.6m,梁間4.7mの長大な門で、東寄りに出入口を設け、その左右は部屋や蔵となっている。当時、一般農家では門を構えること自体許可されておらず、この長屋門の規模は、黒田家が任されていた2千石の格式を示すものである。牧之原市の大鐘家同様に屋根には千木がみられる。
米蔵と東蔵は主屋と同じ19世紀半ばの建築であり、西蔵は1899(明治32)年の建築である。