朝日山城跡

あさひやまじょうあと (Asahiyama Castle Ruins)

【C-SZ073】探訪日:2022/2/27

【C-SZ073】朝日山城跡 静岡県藤枝市仮宿2外

【MAP】

〔駐車場所〕 城跡の東側山麓の登り口に駐車場がある。

【C-SZ073】朝日山城跡

   築城代は定かではないが、室町時代初期に岡部氏によって築かれたとされる。岡部清綱は駿河権守の任期が切れても京へ戻らず岡部郷に土着して岡部氏の祖となった。
 1536(天文5)年、駿河守護・今川氏親の死後、嫡男の氏輝が家督を継ぐが齢24で死去。同日に氏輝を継ぐはずの弟の彦五郎も死去している。これによって出家していた弟の栴岳承芳(後の今川義元)と玄広恵探(今川良真とも)の間での家督を巡る花倉の乱が発生し、岡部左京進親綱は恵探方が占拠した方上城を攻め落とし、ついで花倉城も攻め落として功をあげた。1588(天正16)年、岡部氏は関東に移封となり廃城となった。
 城は潮山の支峰となる標高110m,比高約90mの朝日山(牛伏山)に築かれており、その規模は東西約600m,南北約200mに及ぶ。山頂部が一ノ曲輪(主郭)となり三方に土塁が残されている。その南東下が二ノ曲輪とされ、現在は朝日稲荷神社が建つ。曲輪はさらに東に向けて配置されている。なお、山麓には岡部氏居館跡があることから朝日山城は詰城であったとみられる。また、南南東約1Kmにある潮城跡は支城と考えられている。

【史跡規模】

【指 定】藤枝市指定史跡(1980年1月16日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号

1536年・1588年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
岡部清綱 F009 岡部親綱 F009

 

【C-SZ073】朝日山城跡
 今回、西側から直登して途中から遊歩道とされる細い山道を通って朝日稲荷神社の参道へと出たが、そこで小犬を連れた初老の婦人と出会い、これは登り口を間違えたと直感した。牛伏山の東側に駐車場も完備した登り口がある。

 

【C-SZ073】朝日山城跡

【C-SZ073】朝日山城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-SZ073】朝日山城跡

【C-SZ073】朝日山城跡

【C-SZ073】朝日山城跡

【C-SZ073】朝日山城跡

【C-SZ073】朝日山城跡

【C-SZ073】朝日山城跡

▲二ノ曲輪にある朝日稲荷神社

【C-SZ073】朝日山城跡

▲本殿

【C-SZ073】朝日山城跡

▲二ノ曲輪

【C-SZ073】朝日山城跡

▲一ノ曲輪

【C-SZ073】朝日山城跡

▲一ノ曲輪

【C-SZ073】朝日山城跡

▲一ノ曲輪

【C-SZ073】朝日山城跡

【C-SZ073】朝日山城跡

▲一ノ曲輪

【C-SZ073】朝日山城跡

▲一ノ曲輪

【C-SZ073】朝日山城跡

▲一ノ曲輪の土塁

【C-SZ073】朝日山城跡

▲土塁

【C-SZ073】朝日山城跡

▲土塁

【C-SZ073】朝日山城跡

▲土塁

【C-SZ073】朝日山城跡

▲一ノ曲輪

【C-SZ073】朝日山城跡

▲一ノ曲輪

【C-SZ073】朝日山城跡

▲東側斜面

【C-SZ073】朝日山城跡

▲遊歩道

【C-SZ073】朝日山城跡

▲遊歩道の下が空堀跡

【C-SZ073】朝日山城跡

【C-SZ073】朝日山城跡

▲竪堀

【C-SZ073】朝日山城跡

【C-SZ073】朝日山城跡

▲空堀跡

【C-SZ073】朝日山城跡

▲空堀跡

【C-SZ073】朝日山城跡

▲遊歩道

【C-SZ073】朝日山城跡

▲遊歩道