中川覚右衛門墓碑〔明法寺〕
なかがわかくえもん ぼひ〔みょうほうじ〕(Gravestone of Kakuemon Nakagawa [in Myoho-ji Temple])
【K-AC028】探訪日:2014/9/14
愛知県安城市安城町拝木33
【MAP】
〔駐車場所〕
安永の義民とされる安城村庄屋であった中川覚右衛門の墓碑である。1779(安永8)年、夏の大旱魃に続く秋の台風による矢作川西堤防の決壊で安城村は洪水となり、村の綿作は全滅、稲作は半作という状態であった。そこで、覚右衛門は領主・久永内記へ年貢の減免を二度にわたって願い出たが聞き入られず、郷倉の番舎に入り嘆願書を残して自決した。その結果、年貢は減免され、郷倉の米俵60俵は救米として村民に分配された。
このことから明治に入って明法寺の境内地に船形光背のある阿弥陀如来像を刻んだ墓碑が建てられた。