長浜城跡

ながはまじょうあと (Nagahama Castle Ruins)

【C-SG011】探訪日:1989/5/15・2019/9/17

【C-SG011】長浜城跡 滋賀県長浜市公園町10-10

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-SG011】長浜城跡

   1573(天正元)年、羽柴秀吉が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領し、小谷城で使われていた資材や1558(永禄元)年に火災に遭った竹生島宝厳寺の復旧資材として長政が寄進した材木などを流用して築城を開始し、1575(天正3)年頃に完成,入城した。秀吉が最初に築いた居城である。なお、宝厳寺に対しては、のちに豊臣秀吉の遺命により大坂城の唐門などが移築されている。また、当時「今浜」と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し「長浜」に改名した。城はいわゆる水城であり湖水に石垣を浸し、城内の水門から直に船の出入りができるようになっていた。
 1581(天正9)年には堀秀政が城主となるが、羽柴秀吉の母(大政所)と妻(北政所)はそのまま長浜に居住していた。
 翌1582(天正10)年、本能寺の変が起こると、明智方に加担した山本山城主の阿閉貞征が長浜城を占領、秀吉の妻ら係累は近隣の寺に逃れた。阿閉は山崎の戦いにも明智方として参加するが、明智方が敗れると秀吉方に捕縛され一族全て処刑された。
 山崎の合戦後、長浜の支配権を獲得したのは柴田勝家であった(秀吉が譲った)。勝家は甥の柴田勝豊を長浜城の守将として入城させたが、同年末には秀吉が勝手知ったる長浜城を攻めた。雪のため勝家は援軍を送れず、勝豊は降伏した。
 1583(天正11)年の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が敗死し、戦後は山内一豊が入り6年間在城したが、1586(天正13)年冬の天正地震により城は全壊し、一豊の一人娘・与祢らが死亡している。
 1606(慶長11)年、内藤信成,信正が城主となったが、大坂の陣後の1615(元和元)年に内藤氏は摂津国高槻に移封され、長浜城は廃城となった。資材の大半は彦根城の築城に流用され、彦根城の天秤櫓は長浜城から移したものという。その他、大通寺の台所門は長浜城の大手門、知善院の表門は搦手門を移したものと伝えられている。城の一部が琵琶湖に水没している(琵琶湖湖底遺跡)。
 現在の天守は犬山城伏見城をモデルにし模擬復元されたもので、市立長浜城歴史博物館として運営されている。
 また、城跡には築城時に人柱となった「おかね」(長浜一の美女と評判だった女性)と「おきく」(盲目の妹を庇って自ら志願)の石碑,祠が建てられている。

【史跡規模】

【指 定】長浜市指定史跡
【国 宝】 
【国重文】

関連時代 戦国時代 江戸時代:前期
関連年号 1573年・1581年・1582年・1583年・1586年 1606年・1615年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
羽柴秀吉 ZZ01 堀 秀政 F823 阿閉貞征 AH**
柴田勝豊 G342 山内一豊 F944 内藤信成 F909

 

【C-SG011】長浜城跡

 

 

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▲模擬天守(長浜城歴史博物館)

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▲石垣根石

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▲本丸跡

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▲石垣出土地

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▲天守閣跡

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▲豊臣秀吉像

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▲太閤井戸

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▲人柱となった「おかね」の碑

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▲【転載】人柱となった「おきく」の祠