高安城跡
たかやすじょうあと (Takayasu Castle Ruins)
【C-OS011】探訪日:1993/9/12・2018/10/30
【MAP】
〔駐車場所〕
『日本書紀』に「大和国の高安城、讃岐国山田郡の屋嶋城、対馬国の金田城を築く」と記載された古代山城のひとつである。663(天智天皇2)年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した大和朝廷は、倭の防衛のため、対馬から畿内に至る要所に様々な防御施設を築いた。高安城は、667(天智天皇6)年に金田城,屋嶋城とともに築かれ、政権基盤の宮都を守る重要なポイントであった。しかし、唐・新羅連合軍は攻めてくることはなく、修理を繰り返しながらも701(大宝元)年8月には廃城となった。
高安城が築かれた標高487mの高安山は、奈良県と大阪府の県境の生駒山地の南端部に位置する。大阪平野側の西斜面は急峻で、東斜面は標高400mほどの多数の尾根が谷を抱える地形となっている。1978(昭和53)年に山中で礎石建物跡が発見され、その礎石建物跡6棟のうちの2号と3号の礎石建物は8世紀前期のものと推定されているが、その他の明確な遺構は確認されていない。