屋嶋城跡
やしまじょうあと (Yashima Castle Ruins)
【C-KG003】探訪日:2019/7/20
香川県高松市屋島東町
【MAP】
〔駐車場所〕
白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れたヤマト王権が、日本の防衛のために、対馬~畿内に至る要衝に築いた防御施設の一つである。天智天皇6年(667年)に高安城,対馬国金田城とともに築かれた。
山頂は平坦で、端部は急崖で囲まれた台地の地形で、南嶺と北嶺は細い尾根で接続されており、南北嶺の山上全域が城跡とされている。山上の外周7Kmのほとんどが断崖で、南嶺の外周4Kmの断崖の切れ目に城壁が築かれている。発掘調査により南嶺の南西斜面部の石積はじめ北水門,南水門,城門,土塁などが発見されている。南の城門は朝鮮半島の城にみられる懸門構造に加え、城内側は甕城(防御用に城門を二重にしている)であり、通路は北側に直角に曲がる。門道は階段状で、城内から城外に向かって暗渠の排水路が設置され、通路の両側の柱穴の検出により建造物(門扉)の存在が実証されている。
また、大正時代に発見された遺構として、浦生地区の標高100mの山中に谷を塞いだ、長さ約47m×基底部幅約9mの石塁と台状遺構(物見台)がある。2009年の調査で、7世紀後半代の城跡遺構であることが判明し、屋嶋城が二重防御の城で、浦生地区の遺構は進入路を塞いだ遮断城であったことがわかる。
詳細は、高松市公式ホームページを参照。