寺脇城跡
てらわきじょうあと (Terawaki Castle Ruins)
【C-AC485】探訪日:2021/12/23
愛知県北設楽郡設楽町東納庫字軒山
【MAP】
〔駐車場所〕八幡神社の駐車場を利用できる。
築城年は定かではないが、鎌倉時代末期には後藤弾正の居城であったとされる。1532(天文元)年頃、作手奥平貞久の6男・奥平左京進貞次が、名倉へ進出し名倉奥平家の祖となり、ここを本城として一帯を支配した。2代・喜八郎信光は、天正年間(1573~92年)初めには徳川家康の配下として津具方面で武田勝頼と戦い、1581(天正9)年、織田信長の命により上郷城を築いている。関ヶ原の戦いの後、家康の4男・松平忠吉に属し、忠吉が清洲城に入ると、1602(慶長7)年、信光も戸田加賀守と称して家臣として清須に移住した。
城は標高701m,比高25mの南へ張り出した麓の丘陵部に築かれており、約150m四方の規模で本曲輪を中心に南と東側に曲輪が広がる。南側の桝形の大手口から空堀の底道を通り本曲輪へと進む。本曲輪の北背後には高さ約3mの土塁と外側に空堀が設けられ、それは東,西側へと廻り込んでいる。本曲輪の東は搦手口と5段から成る東曲輪、さらに南から西にかけても5段から成る南曲輪が段状に連なる。
また、本曲輪の東側の空堀を北に進むと、詰の城とされる浜城跡へと続く。
【史跡規模】 |
【指 定】設楽町指定史跡 |
関連時代 | 鎌倉時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 |
---|---|---|---|
関連年号 | 1532年・1581年 |
1602年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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後藤弾正 | F*** | 奥平貞次 | KD13 | 奥平信光(戸田信光) | KD13 |
松平忠吉 | MT33 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲遠景
▲城址入口
▲大手門(防獣柵を開けて入る)
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▲空堀
▲大空堀
▲大空堀
▲大空堀
▲大空堀
▲南帯曲輪
▲南帯曲輪
▲南帯曲輪
▲東二の曲輪
▲東二の曲輪
▲東二の曲輪
▲東三の曲輪
▲東三の曲輪
▲東三の曲輪
▲東三の曲輪
▲東三の曲輪
▲東三の曲輪
▲東四の曲輪
▲東四の曲輪
▲東五の曲輪
▲虎口
▲大手口
▲大手口
▲本曲輪
▲本曲輪
▲本曲輪
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▲本曲輪
▲本曲輪
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▲大土塁
▲土塁上
▲土塁上から見た本曲輪
▲土塁端
▲土塁外の空堀
▲空堀
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▲南二の曲輪
▲南二の曲輪
▲搦手口
▲東腰曲輪
▲空堀
▲浜城への登り口