円覚寺
えんかくじ(Enkaku-ji Temple)
【T-KN002】探訪日:2008/4/30
神奈川県鎌倉市山ノ内409 <📲:0467-22-0478>
【MAP】
〔駐車場所〕
1282(弘安5)年、鎌倉幕府8代執権・北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建した。臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。本尊は宝冠釈迦如来、北条得宗の祈祷寺となるなど北条氏に保護された。時宗は当初、建長寺初代住職で中国出身の高僧・蘭渓道隆を師として禅の修行に励んでいたが、蘭渓が1278(弘安元)年7月に没してしまったため、時宗は代わりとなる高僧を捜すべく、建長寺の僧2名を宋に派遣した。これに応じて1279(弘安2)年に来日したのが無学祖元である。
山号「瑞鹿山」は、円覚寺開堂の儀式の際、白鹿の群れが現われ、説法を聴聞したという故事によるものとされ、今も境内にはその鹿の群れが飛び出してきた穴と称する「白鹿洞」がある。また寺号の「円覚」は、時宗と蘭渓道隆が寺の立地場所を探している際、現在の円覚寺がある場所の地中から石櫃に入った円覚経(経典)が発掘されたことによるという。
円覚寺は1287(弘安10)年以降たびたび火災に遭っている。中でも1374(応安7)年の大火、1526(大永6)年の里見義豊の兵火、1563(永禄6)年の大火、1703(元禄16)年の震災などの被害は大きく、1923(大正12)年の関東大震災でも仏殿などが倒壊している。
創建当時の伽藍は総門,三門(山門),仏殿,法堂,方丈が一直線に並ぶ典型的な禅宗様伽藍配置であったが、1563(永禄6)年の大火で古い建物は失われてしまった。その後、舎利殿は他所から移築され、法堂は再建されなかった。
三門は、1785(天明5)年に大用国師誠拙周樗が再建したものといわれ、「円覚興聖禅寺」の額字は伏見上皇の勅筆とされる。楼上には十一面観音,十六羅漢像などを安置する。仏殿は、関東大震災で倒壊し、1964(昭和39)年に再建。堂内には本尊の宝冠釈迦如来像や梵天・帝釈天像などを安置する。選仏場は、1699(元禄12)年建立の茅葺き屋根の建物で坐禅道場である。内部には南北朝時代の薬師如来立像を安置する。仏殿が再建されるまで、この堂が仏殿を兼ねていた。方丈の前庭のビャクシンの古木は無学祖元手植えと伝わる。
舎利殿は神奈川県唯一の国宝建造物で、境内の奥に位置する塔頭・正続院の中にある。正続院は開山・無学祖元を祀る重要な塔頭である。舎利殿は入母屋造,杮葺きで一見2階建に見えるが一重裳階付きである。堂内中央には源実朝が南宋から請来したと伝える仏舎利を安置した厨子があり、その左右に地蔵菩薩像と観音菩薩像が立つ。
【史跡規模】 |
【指 定】・国指定史跡:境内(1967年4月24日指定) |
関連時代 | 鎌倉時代 | 南北朝時代 | 戦国時代 | 江戸時代:前期 |
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関連年号 | 1282年・1287年 | 1374年 | 1526年・1563年 | 1703年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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北条時宗 | H172 | 無学祖元 | **** | 蘭渓道隆 | **** |
里見義豊 | G318 |
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▲総門
▲山門
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▲山門
▲山門
▲洪鐘
▲洪鐘
▲仏殿
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▲選仏場
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▲唐門
▲唐門
▲方丈
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▲虎頭岩
▲白鹿洞
▲開基廟(北条時宗墓所)
▲開基廟
▲舎利殿
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▲【転載】舎利殿