建長寺
けんちょうじ(Kencho-ji Temple)
【T-KN001】探訪日:2008/4/30
神奈川県鎌倉市山ノ内8 <📲:0467-22-0981>
【MAP】
〔駐車場所〕
1253(建長5)年、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼が開基となり、南宋の禅僧・蘭渓道隆(大覚禅師)を開山として創建された鎌倉五山第一位の寺院である。第2世は同じく南宋の兀庵普寧である。蘭渓道隆の禅風は中国宋時代の純粋禅を受け継いだ厳格なものであり、寺内では日常的に中国語が使われていたという。建長寺の境内が広がる谷(やつ)は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が建っていた。建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な釈迦如来ではなく地蔵菩薩であるのは、こうした因縁による。
1293(正応6)年4月12日の鎌倉大地震により建造物の大半が倒壊、炎上。元から来日した一山一寧を第10世に任じて再建にあたらせた。しかし、続いて1315(正和4)年,1416(応永23)年をはじめとするたびたびの火災で創建当初の建物を失った。鎌倉時代末期には修復費用獲得のため、幕府公認で元へ貿易船(寺社造営料唐船)が派遣され、「建長寺船」と呼ばれた。江戸時代には徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築されたが、1923(大正12)年の関東大震災でも大きな被害を受けている。
伽藍配置は中国式であり、創建当時の建物は失われたとはいえ、総門,山門,仏殿,法堂,方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は、創建当時の面影を残すものとされる。なお、地形の関係で総門~山門間の参道は斜めになっている。
総門は、1783(天明3)年の建立で京都の般舟三昧院から移築されたものである。三門は、1775(安永4)年の上棟で三間一戸の二重門、上層屋根はこけら葺き形銅板葺きで、上層内部には宝冠釈迦如来像を中心に十六羅漢像,五百羅漢像(銅造)などを安置する。仏殿は、寄棟造で単層裳階が付く。
増上寺にあった徳川秀忠夫人崇源院の霊屋を建て替えに際し譲渡されたもので、1647(正保4)年に建長寺に移築された。法堂は、禅宗以外の寺院の講堂に相当する鎌倉最大級の木造建築で1825(文政8)年の竣工である。堂内中央奥に高さ2mを超える法座を設け、その奥に本尊千手観音坐像を安置する。天井には雲龍図が掲げられている。唐門は、仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したもので大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現された。方丈は、総門と同じく京都の般舟三昧院から移築したもの。庭園は夢窓疎石の作といわれる。半僧坊は、境内のもっとも奥、山の中腹にある建長寺の鎮守である。ここに祀られる半僧坊権現は1890(明治23)年に静岡県浜松市北区の方広寺から勧請した神で、火除けや招福に利益があるという。このほか、建長寺には境外塔頭を含め12か院が残るが、原則非公開である(境外塔頭の円応寺のみ常時公開)。
【史跡規模】 |
【指 定】・国指定史跡:境内(1966年9月12日指定) |
関連時代 | 鎌倉時代 | 室町時代 |
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関連年号 | 1253年・1293年・1315年 | 1416年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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北条時頼 | H172 | 蘭渓道隆 | **** | 兀庵普寧 | **** |
一山一寧 | **** |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲天下門
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▲総門
▲総門(額は一山一寧の筆,「巨」に点がある)
▲三門
▲三門
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▲三門
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▲梵鐘
▲梵鐘
▲梵鐘
▲仏殿
▲仏殿
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▲仏殿
▲法堂
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▲後方に本尊千手観音坐像
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▲法堂天井の雲龍図
▲唐門(右は大庫裏)
▲唐門
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▲【Wikipediaより転載】2011年の修理後の唐門
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▲庭園
▲庭園
▲庭園
▲庭園
▲正統院
▲天源院
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▲半僧房
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