楠城跡
くすじょうあと (Kusu Castle Ruins)
【C-ME009】探訪日:1990/8/25・2021/10/6
三重県四日市市楠町本郷1501
【MAP】
〔駐車場所〕
1369(正平24)年、伊勢国司・北畠顕泰によって築かれ、信濃国諏訪氏の一族の諏訪十郎貞信を初代城主とした。2代・有益は北畠顕泰により中島4郷を賜り、中島氏を称した。3代・貞則は兄の貞益と共に北畠満雅の命に叛いたため、4代目から楠一族が城主となり、4代・楠正威(正顕3男),5代・楠正充,6代・楠正忠、そして7代・楠正具と続く。
1567(永禄10)年、織田信長の命を受けた滝川一益の北伊勢侵攻が開始されたが、北伊勢の諸城が次々と織田に降る中、正具は治田城に籠り、最後まで抵抗したという。その後、正具は1576(天正4)年の大坂石山合戦で戦死した。
跡を楠氏の親戚筋の村田正盛が城主となり織田信雄に仕えたが、1584(天正12)年の小牧長久手の戦いのとき、美濃国加賀野井城で羽柴秀吉軍に攻められ戦死した(1582年に尾張国戸田城で戦死したともいう)。
城は、東に伊勢湾が迫り鈴鹿川と鈴鹿川派川との三角州に当たるところに築かれ、平地ではあるが最適の要害の地であった。現在は遺構は残されておらず、石碑と説明板が建つのみである。