朝倉城(市場城)跡

あさくらじょう(いちばじょう)あと (Asakura[Ichiba] Castle Ruins)

【C-ME086】探訪日:2021/10/4

【C-ME086】朝倉城(市場城)跡 三重県四日市市市場町

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-ME086】朝倉城(市場城)跡

   築城年は定かではないが、康正年間(1455~57年)に室町幕府の奉行衆であった朝倉詮真によって築かれたとされる。のちに保々西城が築かれると、その支城として使われた。
 1568(永禄11)年、織田信長による伊勢侵攻の際に滝川一政の攻撃によって保々西城とともに落城したという。
 敬福寺南の墓地の西側に位置し(墓地に説明板がある)、城址南東に虎口があり、土橋,曲輪,土塁,空堀が残されている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1455~57年 1568年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
朝倉詮真 **** 織田信長 OD04 滝川一益 KI43

 

【C-ME086】朝倉城(市場城)跡
 北側の道路から薮に入り北の虎口を探すも見つからず、墓地奥の南東虎口から入った。土橋を渡り入るとすぐ主郭ではあるが、雑草と竹薮、そして倒れた竹が行く手を塞ぎ、さすがに主郭の奥まで進むことができなかった。ただ、周囲の土塁と空堀はなかなかの迫力で見応えがある。

 

【C-ME086】朝倉城(市場城)跡

【C-ME086】朝倉城(市場城)跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

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▲敬福寺の墓地に説明板がある

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▲地図は下が北

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▲墓地の西から虎口へ向かう

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▲南東虎口の土橋

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▲土橋左側の堀

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▲土橋右側の堀

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▲井戸跡

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▲標柱の右の土塁へ上る

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▲土塁の上

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▲土塁の上の城址碑

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▲土塁の上

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▲土塁の上

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▲土塁の上

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▲土塁上から見た東の堀

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▲北の虎口(奥が主郭)

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▲主郭

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▲主郭

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▲主郭

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▲土塁上から見た主郭

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▲南東虎口のところから見た主郭(進入困難)

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▲空堀

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▲空堀

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▲空堀

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▲空堀