勝鬘寺
しょうまんじ (Shoman-ji Temple)
【T-AC006】探訪日:1990/3/17・2011/9/29・2021/10/11
愛知県岡崎市針崎町朱印地3 <📲:0564-51-3443>
【MAP】
〔駐車場所〕 南側および境内にも駐車場がある。
寺伝によれば、1256(建長8)年、高田の顕智(親鸞の弟子真仏に師事した僧)に帰依した安藤袈裟太郎が父・円善とともに出家して信願房了海と改姓し、1258(正嘉2)年に碧海庄赤渋に建立した道場を始まりとする。三河国における最初の真宗道場である。
文明年間(1469~86年)頃、本願寺の綽如上人の血脈分流にあたる了顕が9世住職として入寺してから三河では最初の本願寺血脈寺院として隆盛を極めた。1496(明応5)年には水害に見舞われ、赤渋から現在地の針崎へと移った。
1563(永禄6)年からの三河一向一揆では、本寺に蜂屋半之丞,渡辺半蔵らが立て籠もり松平元康と争ったが、数ヶ月にして敗れ大伽藍も兵火のため消失し、13世住職の了意も信濃国井上に逃れた。
1585(天正13)年10月、念願の再興,還住が認められ、再び繁栄の時代を迎える。1636(寛永13)年からの徳川家光による岡崎の寺院に対する朱印発給では、勝鬘寺と上宮寺は対象から除かれたが、1685(貞享2)年には徳川綱吉から朱印地と認められた。本願寺東西分派では東派に属し、三河触頭三ヶ寺の一つとなった。
現在の本堂は1734(享保19)年の大修理の際に瓦葺に改められ再建されたものである。なお、1896(明治29)年創立の愛知県第二尋常中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)は、本寺が最初の校舎であった。また、境内には白鳩保育園(1953年創立)がある。
【史跡規模】 |
【指 定】岡崎市指定史跡(1962年6月15日指定)【国 宝】 |
関連時代 | 鎌倉時代 | 室町時代 | 戦国時代 | 江戸時代:中期 |
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関連年号 | 1258年 | 1469~86年 | 1496年・1563年・1585年 | 1734年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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信願房了海 | **** | 円善 | **** | 了顕上人 | F351 |
蜂屋半之丞 | **** | 渡辺半蔵 | G*** | 徳川家康 | TG01 |
了意上人 | **** |
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▲本堂
▲本堂
▲本堂
▲本堂
▲鐘楼
▲鐘楼
▲境内にある白鳩保育園
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▲南側の出口