本宗寺
ほんしゅうじ (Honshu-ji Temple)
【T-AC014】探訪日:1989/5/27・2011/9/29
愛知県岡崎市美合町平地50 <📲:0564-51-4129>
【MAP】
〔駐車場所〕
1468(応仁2)年、本願寺第8世の法主蓮如上人が三河御巡化の折りに真宗繁昌の中心寺院として、額田郡土呂に創建した。蓮如上人に続いて、第9世実如も本宗寺を拠点として三河門徒教化につとめ、4男の実円を本宗寺初代住職に任じた。
1559(永禄2)年には朝廷より勅許院家に列せられた。
1563(永禄6)年からの三河一向一揆では、一揆方の拠点となったため、他の本願寺門派の寺院道場とともに徳川家康によって悉く破却され、本寺も1564(永禄7)年2月28日に焼失した。家康の宗門御停止の命令により、住職は他の地に移り、一時断絶するに至る。
その後、石川家成の母で家康の叔母である芳春院妙西尼の再三の嘆願によって、1585(天正13)年12月に宗門再興の赦免状が発せられ、本宗寺は最初に復興を許された。土呂の旧地に替えて寺地を転々としたが、1611(慶長6)年に現在の平地山の丘陵地に御坊本宗寺が完成した。江戸時代には、本堂,庫裡,対面所,書院などを備えた大坊舎において教化を続けた。
1968(昭和43)年、不審火により本堂を焼失し、恵信僧都作といわれた御本尊の阿弥陀如来像はじめ貴重な寺宝を焼失。1973(昭和48)年に現在の鉄筋コンクリート造の本堂はに再建された。
境内には、石川数正墓所と芳春院妙西尼墓所がある。