石川数正墓所〔本宗寺〕
いしかわかずまさ ぼしょ〔ほんしゅうじ〕(Grave of Kazumasa Ishikawa [in Honshu-ji Temple])
【K-AC004】探訪日:1989/5/27・2011/9/29
愛知県岡崎市美合町平地50
【MAP】
〔駐車場所〕
1592(文禄元)年に死去した石川数正の墓所である。ここ本宗寺と長野県松本市の正行寺に存在する。
数正は竹千代(徳川家康)が今川義元の人質になっていた時代から近侍し、桶狭間の戦い後に元康(徳川家康)が岡崎城に戻ると、今川氏真と交渉して嫡男・信康と正室・築山殿を取り戻した。三河一向一揆では浄土宗に改宗して家康に尽くしたが、石川宗家の家督は叔父の石川家成が継ぐことになる。しかし、家康からは信任を得て家老に任じられ、酒井忠次,石川家成らに次いで重用されるようになった。軍事面でも多くの合戦に出陣して数々の武功を挙げている。
しかし、1585(天正13)年11月13日、突如として家康の下から羽柴秀吉の下へ出奔。理由はいまだ謎であり、これにより徳川軍は機密漏えいに対応するため三河以来の軍制を武田流に改めることになる。
1590(天正18)年、秀吉から信濃国松本を与えられ松本城を築城する。
1592(文禄元)年、文禄の役(朝鮮出兵)に参戦のため肥前国へ向かい、その陣中で亡くなった。遺灰と遺骨は菩提寺の正行寺と故郷三河の本宗寺に埋められた。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
---|---|
関連年号 | 1593年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
石川数正 | G393 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲
▲
▲本宗寺山門
▲本宗寺本堂