松平太郎左衛門家墓所
まつだいらたろうざえもんけ ぼしょ(Graves of the Tarozaemon Matsudaira Family)
【K-AC002】探訪日:1989/5/16・2021/8/11
愛知県豊田市松平町日影前
【MAP】
〔駐車場所〕
松平2代の泰親の子・松平信広は松平氏館にて松平太郎左衛門家を継ぎ、弟の信光は松平郷から三河国平野部へ進出し、のちの徳川将軍へとつながる系統となる。 太郎左衛門家は、江戸時代を通じて幕府より「御称号の旧地」を守る役目として442石を給せられ、代々太郎左衛門を名乗り、参勤交代の許された交代寄合に列せられていた。太郎左衛門家は明治維新により帰農し、大正時代末期に東京に居を移している。 初代の松平親氏,2代の泰親および太郎左衛門家9代尚栄,10代重和は、高月院に葬られ、3代信広と7代の親長は晴暗寺裏山に墓地があり、当墓所には松平太郎左衛門家11代の信和(1702年死去)以降の当主が葬られている。
【史跡規模】
【指 定】【国 宝】 【国重文】
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