広見城跡

ひろみじょうあと (Hiromi Castle Ruins)

【C-AC435】探訪日:2021/8/31

【C-AC435】広見城跡 愛知県豊田市広幡町阿賀滝

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年は定かではないが、1355(正平10/観応4)年頃、西広見村を領した中条将監秀長が築いたとも天文年間(1532~55年)に中条将監秀正が築いたともいわれる。そのほか城主には、中条飛騨守,広見藤大夫,中条秀清(秀正の子),中条将監季長の名がある。中条将監秀正は八草城主でもあり織田信長に仕えていたが、1577(天正5)年の落城の際に自害したとされる。秀清は亡父の意志を継いで荒廃した猿投神社を再興したとされる。
 城は標高207m,比高90mの山頂に築かれ、その規模は南北200m,東西180m。現在は山林となっているが、曲輪,空堀,石積み,井戸跡が残されている。正林寺に広見城主の広見藤太夫,中条将監秀正の墓がある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代
関連年号 1355年

1577年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
中条秀長 **** 中条飛騨守 **** 広見藤大夫 ****
中条秀正 **** 中条秀清 **** 中条季長 ****

 

【C-AC435】広見城跡
 登城口がわからず、ネット情報から段々畑の奥から進んだ。途中直登しながら主郭下の石積みのところに着いたが、この時点で縄張りの全体像が分からず(Googlemapには「広見城跡」が2ヶ所ある)、主郭,曲輪Ⅱ,Ⅲと堀切B,Cを確認したうえで下山することとした。ところが、下山しようとしても何回も同じところを戻ってしまい(要は迷子)、最後の手段としてiPhoneを頼りに伊保川方面へ山の斜面を直降し、やっとの思いで伊保川沿いに出ることができた(途中、地面に張っていた獣除けの有刺鉄線でズボンを裂いてしまったが)。川沿いに車に向かって歩いていくと、なんと途中に登り口と縄張図も載った案内板を見つけ、さらに疲れが押し寄せた。 

 

【C-AC435】広見城跡

 

  

【C-AC435】広見城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-AC435】広見城跡

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▲登城口(実は下山後に発見)

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▲主郭南下の石積み

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▲主郭南下の石積み

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▲虎口

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▲虎口

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▲主郭

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▲主郭

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▲主郭

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▲主郭

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▲曲輪Ⅲ

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▲堀切B(主郭西の堀切)

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▲堀切Bから曲輪Ⅲ側を見る

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▲土橋

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▲土橋

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▲土橋から見た竪堀

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▲土橋を渡った主郭西の曲輪

【C-AC435】広見城跡

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▲曲輪Ⅱ

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▲曲輪Ⅱ

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▲堀切C

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▲堀切C

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▲遠景