加藤勘三郎,小関三五郎墓所〔了玄院〕
かとうかんざぶろう,おぜきさんごろう ぼしょ〔りょうげんいん〕(Graves of Kanzaburo Kato and Sangoro Ozeki[in Ryogen-in Temple])
【K-AC173】探訪日:2021/8/20
愛知県名古屋市名東区高柳町1402
【MAP】
〔駐車場所〕寺院沿いの道路が駐車場になっている。
了玄院には上社城主あるいは高針城主の加藤勘三郎と隣には藤森城主の小関三五郎の墓(墓標)が並んで立っている。また、両者は1470(文明2)年に上社と藤森の両村にまたがる地に了玄院を建立し、同じ1474(文明6)年に没したという。しかし、説明の碑には「両氏が長久手合戦無名の戦士追弔の志をもって中田山了玄院を建立」したとあり、長久手合戦は1584(天正12)年のため、辻褄が合わない(藤森城は小関三五郎が長久手合戦に敗れ再起をかけて築いた城という)。この地の加藤氏は代々「勘三郎」を名乗ったことが知られているが、小関氏も同様だったのか。
【史跡規模】
【指 定】【国 宝】 【国重文】
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▲了玄院
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