東広瀬城跡

ひがしひろせじょうあと (Higashi-Hirose Castle Ruins)

【C-AC432】探訪日:2021/8/11

【C-AC432】東広瀬城跡 愛知県豊田市東広瀬町城下38

【MAP】

〔駐車場所〕

   1344(興国5/康永3)年、児島高徳が築き、嫡男の児島勘解由高盛が城主となった。1384(元中1/至徳1)年頃、児島高徳の3男・三宅貞宜が城主となり、以後、三宅氏代々の居城となる。天文年間(1532~55年)の頃、三宅高貞は1533(天文2)年の松平清康との井田野の戦いなど松平氏との戦いを続けたが、1560(永禄3)年の古鼠坂(仏楚坂)の戦いで松平元康に敗れ、落城となる。この戦いで高貞の養嗣子・三宅高清が討死、三宅高貞は元康に仕えることとなる。
 城は矢作川に面した丘陵に築かれており、現在は主郭が広瀬神社の境内となっている。城域は東西約200m,南北約150mで堀がコの字状に城を取り巻いていた。東麓に居館跡があり、その南側と西側に土塁が残る。主郭へはこの土塁上を歩いて向うルートと広瀬橋近くの石段から上るルートがある。
 矢作川を挟んだ北西には織田信長の家臣・佐久間氏の西広瀬城跡、その北東約850mのところに広瀬古城跡がある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代
関連年号 1344年・1384年 1533年・1560年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
児島高徳 MY02 児島高盛 MY02 三宅貞宜 MY02
三宅高貞 MY02 松平元康 TG01 三宅高清 MY02

 

【C-AC432】東広瀬城跡
  

 

【C-AC432】東広瀬城跡

 

東広瀬城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)

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南からの登城 東海自然歩道の方向へ(南側土塁上を進む) 腰曲輪へ 腰曲輪 腰曲輪 腰曲輪 腰曲輪 主郭への階段を上ったところ 主郭 主郭 城址碑 広瀬神社 主郭 城跡西側(広梅橋の脇)からも登城できる 梅村源次郎翁(西加茂郡会議員)頌徳碑 西からの階段 北から見た遠景