羽豆神社
はずじんじゃ (Hazu Shrine)
【S-AC038】探訪日:2021/6/8
愛知県知多郡南知多町師崎明神山2
【MAP】
〔駐車場所〕
社名には諸説ある。日本武尊の東征の際に「幡頭」を努めた建稲種命(宮簀媛の兄)を祭神として羽豆としたという説がある。また、地形が弓矢の筈に似ているため名付けられたともいわれる。さらに、古代南方系海人の信仰であり湾の西方の神である「泊頭の神」から由来するとも。飛鳥時代に創建されたとされる。
元亨年間(1312~13年)には熱田大宮司藤原摂津守親昌が羽豆岬に羽豆崎城を築き、以降、藤原昌能による修復寄進,宗良親王による奉幣はじめ蜂屋光経,千賀重親らによって造営,修復が繰り返されてきた。江戸時代には幡頭崎八幡宮と称していた。1872(明治5)年に郷社に指定された。
本殿は大きな鞘堂に納められ、境内左右には沢山の境内社が祀られている。ウバメガシを主とする「羽豆神社の社叢」は国の天然記念物に指定されている。また、1408(応永15)年に三河守護の一色満範(道範)が羽豆神社に施入した紺紙金字妙法蓮花経及び心阿弥陀経は、県指定文化財に指定されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 飛鳥時代 | 鎌倉時代 | 明治時代 |
関連年号 | 1312~13年 | 1872年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
建稲種命 | A103 | 藤原親昌 | F062 | 藤原昌能 | F062 |
宗良親王 | K501 | 蜂屋光経 | G*** | 千賀重親 | **** |
一色満範(道範) | G351 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲
▲
▲
▲
▲
▲
▲加藤清正が納めたという矢穴石
▲
▲
▲
▲拝殿
▲
▲
▲
▲
▲
▲左が日間賀島、その遠方に佐久島
▲中央が篠島