古瀬間城跡

こせまじょうあと (Kosema Castle Ruins)

【C-AC036】探訪日:2007/6/23

【C-AC036】古瀬間城跡 愛知県豊田市志賀町城山

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-AC036】古瀬間城跡

   1506(永正3)年、長沢松平家4代・勝宗の子・松平弥三郎宗忠によって高橋荘攻略のために築かれたとされる。のちには丸根城とともに、尾張の織田氏,駿河の今川氏,甲斐の武田氏と対峙する松平一族の西方における重要な拠点となった。1590(天正18)年の徳川家康の関東移封に伴い廃城になったといわれている。
 新城街道を見下ろす標高102mの西へ張り出した尾根の先端頂部に築かれた単郭の城で、その規模は約3,600㎡、主郭は約40m×32mで腰曲輪が北,西,南面に段差をつけながら取り囲んでいる。東側には櫓台が設けられていた。北東の下にある浄願寺の辺りは城主らの館があったと推定される。
 現在は公園化され、主郭跡は梅林となり見張り櫓状の展望台が建てられ西への眺望が開けている。浄願寺の境内には、松平宗忠の墓と伝えられる五輪塔が残る。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1506年 1590年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
松平宗忠 MT15

 

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▲松平宗忠墓所

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▲主郭

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▲展望台下の説明板

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▲眺望

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▲眺望