川村北城跡

かわむらきたじょうあと (Kawamura-Kita Castle Ruins)

【C-AC401】探訪日:2021/5/29

【C-AC401】川村北城跡 愛知県名古屋市守山区川東山303

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年代は定かではないが、文明年間(1469~86年)に小口城主であった津田武永(織田寛近)が築き居城したとされる。武永は男子に恵まれず、川村北城を娘婿の岡田時常に譲ったが、時常も男子に恵まれなかったため、娘の婿に牧長義を迎えた。1548(天文17)年頃、長義が小林城へ移ったことで廃城になったという。
 武永は、1487(長享元)年からの六角高頼征伐に斯波義寛に従い出兵した。また、1495(明応4)年には船田合戦で兄寛広と織田紀伊守広遠らと石丸利光を攻めるために美濃に出兵している。
 城は小幡城の北東で白沢川を越えた辺りとされ、北に庄内川,南に白沢川が流れ天然の要害であったとされるが、場所の特定はできていない(写真は御嶽神社,城土公園まで掲載)。
 また、南西に1.8㎞ほど行ったところにある大永寺には、2代目城主の岡田時常はじめ、小牧長久手の戦いのきっかけとなった長島城にて謀反の疑いにて織田信雄に謀殺された家老・岡田重孝、小幡城主・岡田重頼ら岡田氏歴代の墓所がある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1469~86年・1487年 1495年・1548年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
津田武永(織田寛近) OD01 岡田時常 G604 牧 長義 ****
斯波義寛 G3** 織田寛広 OD01 織田広遠 OD01

 

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▲城跡とされる高台

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▲ゆとりーとライン(バス専用レーン)の向こうに御嶽神社

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▲御嶽神社

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▲さらに南の城土公園

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▲大永寺

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▲岡田氏歴代の墓所

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