岩津天満宮
いわづてんまんぐう (Iwazu Tenmangu Shrine)
【S-AC010】探訪日:2016/2/28・2021/4/26
愛知県岡崎市岩津町東山53 <📲:0564-45-2525>
【MAP】
〔駐車場所〕
1759(宝暦9)年、信光明寺22世の一誉上人が鎌倉荏柄山天満宮(芭蕉天神)の分霊を勧請し境内観音堂に祀るも、霊夢により東山の現在地に祠を建立し社殿を造営した。その後、歴代上人の布教努力により尾張,遠州,三河と信仰を広めた。
明治維新後の神仏分離令により、信光明寺の所管を離れて氏子のない崇敬神社として管理は岩津村に移された。
1879(明治12)年に火災により社殿が焼失。これを聞いた立山修験の布教に三河を訪れていた立山芦峅寺の大阿闍梨鑁禪(佐伯鑁禪)が碧南の実業家で人造石工法(長七たたき)発明者である服部長七に復興支援を依頼した。1911(明治44)年、長七は岩津天満宮御本殿再興を果たし、翌年岩津天満宮に隠棲した。1919(大正8)年には拝殿、1929(昭和4)年には神楽殿が造営された。
神職は服部長七以降、服部家が継承している。