野田八幡宮
のだはちまんぐう (Noda Hachimangu Shrine)
【S-AC034】探訪日:2021/5/6
愛知県刈谷市野田町62 <📲:0566-23-8649>
【MAP】
〔駐車場所〕
676(白鳳5)年、文武天皇の治世に創建された。参河国神名帳には「正四位下 伊麻留明神 坐碧海郡」として掲載されている。中世の境内は今留の森と呼ばれ、シイの巨木が茂る鬱蒼とした森だった。1300(正安2)年に社殿を大改修している。
江戸時代から当地の藩主の信仰の対象であり、刈谷藩時代には市原稲荷神社,知立神社と並んで、刈谷藩領内三社と位置づけられていた。福島藩の時代(いきさつは重原陣屋跡を参照)には福島藩領の三河国における総氏神として敬われた。
1872(明治5)年には近代社格制度によって郷社の社格となり、1884(明治17)年に拝殿が、1938(昭和13)年には本殿が改修された。
南側の参道入口から境内までは200mあり、一の鳥居と二の鳥居(赤鳥居)をくぐる。境内中央には推定樹齢300年のクロガネモチの神木、刈谷市内最大のイチイガシの神木、刈谷市内最大で推定樹齢250年のタブノキがある。
また、初代刈谷藩主である水野勝成が関ヶ原の戦いの戦勝祈願として奉納した「総髪兜」,三浦義理が奉納した額,福島藩10代藩主の板倉勝顕が奉納した灯籠などを所有している。
1712(正徳2)年に野田八幡宮境内で行われた雨乞いをきっかけとする「野田雨乞笠踊り」も有名で刈谷市指定無形民俗文化財に指定されている。