加藤与五郎生家跡

かとうよごろう せいかあと (House Ruins Where Yogoro Kato Was Born)

【R-AC043】探訪日:2021/5/6

【R-AC043】加藤与五郎生家跡 愛知県刈谷市野田町西屋敷139-2

【MAP】

〔駐車場所〕

【R-AC043】加藤与五郎生家跡

   1872(明治5)年8月5日、加藤与五郎は愛知県碧海郡野田村(現:刈谷市野田町西屋敷)の農家に父・惣吉と母・こうの間に生まれた。
 依佐美村立野田高等小学校(現:刈谷市立双葉小学校)を卒業し、その代用教員となると中学校の教師を志して英語と数学を独学で勉強し同志社ハリス理化学校(現:同志社大学理工学部)普通部に入学、同志社ハリス理化学校大学部を卒業した。さらに、京都帝国大学の聴講生となり31歳の時に京都帝国大学理工科大学純正化学科を卒業したのちアメリカ合衆国に留学し、マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究室で助手として電気化学を研究し太。日本に帰国後は東京高等工業学校(現:東京工業大学)の教授に就任し在職中には約300件の特許を取得した。特に、フェライト磁石(酸化金属磁石),フェライト製コア(酸化金属磁心),アルミナ(酸化アルミニュウム)は加藤の世界的な三大発明とされる。このことから与五郎は「フェライトの父」と賛辞され、多くの発明をしたことから「日本のエジソン」とも呼ばれる。
 与五郎はつねに独創的研究の重要性を唱え、私財を投じて財団法人加藤科学振興会などを開設して後進の指導にあたり、その業績に対し国から文化功労者の栄誉を与えられている。
 1967(昭和42)年8月13日、95歳で熱海の自邸にて死去し、生まれ故郷の刈谷市で葬儀が営まれ、菩提寺の昌福寺に葬られた。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 南北朝時代
関連年号 1379年・1389年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
達智賢了 **** 小野田長安 **** 加藤時利 F***
智通菩薩 ****

 

【R-AC043】加藤与五郎生家跡  
 屋敷跡の位置ははっきりしていない。ふれあい広場の駐車場に車を停め、周辺を歩いてみると、広場のさらに南の地区は緩やかな高台となっており、完全に住宅地ではあるが「中通屋敷」「北所屋敷」など「屋敷」の付く地名が多く、祐福寺にも近くなることから、達智屋敷はもう少し南にあってもおかしくない気がした。

 

【R-AC043】加藤与五郎生家跡

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