坂崎古城跡
さかざきこじょうあと (Sakazaki Old Castle Ruins)
【C-AC081】探訪日:2014/9/14・2021/4/11
愛知県額田郡幸田町坂崎平蔵脇59
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、戦国時代初期に平岩重益が三河国坂崎郷へ移住し築いた城館とされる。南に位置する坂崎城の旧所ではない。
1542(天文11)年、平岩親吉(重益の孫)が生まれている。親吉は松平元康に駿府人質時代から付き従い、嫡男・松平信康が元服すると、その傅役となった。しかし、1579(天正7)年、織田信長から信康の切腹を要求されると(近年では信長の要求ではなく家康と信康の対立が原因とする説が出されている)、親吉は責任を自分が被り自らの首を信長に差し出すことを求めたが敵わず、責任を感じて蟄居謹慎した。後に家康に許され、再び直臣として復帰した。
1582(天正10)年、本能寺の変で信長が横死すると、家康は甲斐国を平定し、親吉に甲府城を築かせ武田遺臣を慰撫して国内経営に尽力させた。この頃には坂崎古城は廃城となった可能性が高い。
1590(天正18)年、関東に移封された家康に従い、厩橋3万3,000石を与えられたが、関ヶ原の戦い後は再び甲府城を居城とした。
1607(慶長12)年には、尾張藩主になった徳川義直の附家老として尾張国に移り藩政を執行し、1611(慶長16)年12月30日に享年70で名古屋城二の丸御殿で死去した。
『愛知県中世城館跡調査報告Ⅱ西三河』によれば、坂崎古城は複数の曲輪から成る城で、民家の間に空堀が南北に残り、一部土塁も確認できるという。