一宮城跡
いちのみやじょうあと (Ichinomiya Castle Ruins)
【C-AC100】探訪日:2015/9/12
愛知県一宮市本町3丁目11
【MAP】
〔駐車場所〕
1570(元亀元)年、関成重によって築かれたとされる。成重は当初は美濃斎藤氏に仕えていたが、理由,時期ともに不明ではあるが斎藤氏を裏切って織田信長に鞍替えした。織田家臣として浅井長政攻めで功績をあげたことから尾張国一宮に知行を与えられた。苅安賀城の浅井氏とは領地境界を巡ってしばしば争いとなっていた。関氏は一宮の地にある真清田神社の神主の家系でもあったという。子の関成政は1574(天正2)年に信長が行った蘭奢待切り取りの際にその欠片を与えられたが、その蘭奢待を真清田神社へと奉納している。
成政は織田信忠の側近として仕え長島一向一揆征伐,長篠の戦い,有岡城の戦いなどに従軍。1582(天正10)年の甲州征伐でも信忠に近侍して出陣し戦闘に参加している。本能寺の変後は織田信雄の家臣となったが、小牧長久手の戦いの際に信雄を裏切り義兄弟の森長可とともに羽柴軍として徳川軍と戦い討死した(実弟の長尚は信雄側につき羽柴方により処刑、父の成重は参戦せず)。城は信雄の家臣・不破広綱に与えられたが、1590(天正18)年に広綱が去ってから廃城となった。
現在、城跡は市街地となって遺構はなく三菱UFJ銀行の前に石碑が建っている。