西高木家陣屋跡
にしたかぎけじんやあと (Nishi Takagi Jinya Ruins)
【R-GF012】探訪日:2020/1/13
岐阜県大垣市上石津町宮236-1
【MAP】
〔駐車場所〕
1600(慶長5)年、関ヶ原の戦い後、美濃国石津郡は高木貞利の所領となる。高木家は旗本となり、高木貞利の西高木家(2,300石),高木貞友の東高木家(1,000石),高木貞俊の北高木家(1,000石)の3家に分かれ、交代寄合美濃衆として大名と同等格式を与えられ、3家隔年交代で参勤交代を行った。主な役務は国役普請奉行,水行奉行として木曽三川の水利治水行政であった。
西高木家陣屋は1601(慶長6)年に築かれ、その東下に東高木家陣屋、北下に北高木家陣屋がある。西,東,北高木家陣屋は1868(明治元)年まで存続した。宗家であった西高木家陣屋には伊勢街道側の段丘崖を中心に石垣群が構築され、埋門も整備されている。北側に上屋敷,南に下屋敷が構えられ、明治年間建造の主屋と1852(嘉永5)年建造の下屋敷御門を移築した長屋門が残されている。また上屋敷西側に墓所がある。発掘調査では1832(天保3)年に陣屋の大部分が焼失した火災痕跡や建物変遷が確認されている。さらに、高木三家に伝来した古文書群10数万点が名古屋大学に所蔵されている。
現在、上屋敷跡の一部には石津郷土資料館が建てられ、下屋敷跡はその駐車場となっている。