寺津城跡
てらづじょうあと (Terazu Castle Ruins)
【C-AC359】探訪日:2020/12/12
愛知県西尾市寺津町御屋敷25
【MAP】
〔駐車場所〕
1510(永正7)年、大河内信綱(信政)が築いたとされる。大河内氏は以仁王の乱で討たれた源頼政の子孫で、岡崎市の大河内郷へ落ち延びていた。代々、吉良氏に仕え、大河内貞綱は遠江にある吉良氏の領地も管理していたが、1516(永正13)年、今川氏親の遠江侵攻で曳馬城を攻められ、弟の巨海城主・巨海道綱とともに自害したという。
その後は、松平氏と近い関係にあり、12代目の大河内秀綱は三河一向一揆で徳川家康と敵対したが、家康に請われて出仕し、秀剛の次男である正綱が家康の命により長沢松平家へ養子に入り、「知恵伊豆」と称された松平信綱を輩出するなど、その子孫の数家は幕末まで大名として存続した。
城跡は現在の瑞松寺一帯とされ、境内の北西角に高土塁が残されている。また、城跡から200mほど北側に建つ寺津八幡社は大河内顕綱の創建である。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1510年・1516年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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大河内信綱(信政) | G125 | 大河内貞綱 | G125 | 巨海道綱 | G125 |
大河内秀綱 | G125 | 徳川家康 | TG01 | 大河内正綱 | MT17 |
松平信綱 | MT18 | 大河内顕綱 | G125 |
ポツンと残る土塁だけの史跡ではあるが、あの家光時代の幕藩体制を支えた「知恵伊豆の松平信綱」の大河内氏の原点と考えると、感慨深いものがある。
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▲鳥居奥に高土塁
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