堀江城跡
ほりえじょうあと (Horie Castle Ruins)
【C-SZ045】探訪日:2017/8/18
静岡県浜松市西区西区舘山寺町1891
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、貞治年間(1362~68年)に大沢基久によって築かれたとされる。大沢氏は室町時代には遠江守護の斯波氏に従っていたが、やがて駿河の今川氏が台頭するとその勢力下に入り、堀江城は宇津山城,浜名城などとともに三河に対する抑えとしての機能をもった。
1569(永禄12)年、9代大沢基胤は遠江に進出した徳川家康に対し今川方の最後の拠点として激しく抵抗し、攻め滅ぼされることなく家康から和睦を引き出し降伏した。この和睦勧告を受け入れる際、基胤は掛川城に居る今川氏真に降伏して良いか許可を求めている。身分や領地を維持できた基胤,子の基宿は家康のもとで功績をあげ、江戸時代には高家旗本となり、堀江陣屋を構えて明治までこの地を治めた。
しかし、1868(明治元)年、明治政府へ領地一万石を架空申告して一旦は華族に列したが、領民が蜂起したことで不正が発覚し士族へ格下げされた。
城は浜名湖に突き出した内浦に面した小高い丘にあったが、現在は遊園地「浜名湖パルパル」と「ホテル九重」の敷地となっており、遺構は残されていない。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 南北朝時代 | 戦国時代 | 明治時代 |
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関連年号 | 1362~68年 | 1569年 | 1868年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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大沢基久 | F759 | 大沢基胤 | F759 | 大沢基宿 | F759 |
徳川家康 | TG01 | 今川氏真 | G361 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
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▲【転載】パルパル内の説明板
▲【転載】奥御殿の鬼瓦
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