阿寺城跡

あでらじょうあと (Adera Castle Ruins)

【C-GF050】探訪日:2020/11/29

【C-GF050】阿寺城跡 岐阜県中津川市手賀野字斧戸

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-GF050】阿寺城跡

   築城年代は定かではないが、1552(天文21)年、岩村遠山氏の遠山直廉(遠山正廉)が苗木の遠山景徳の養子となり、手賀野に阿寺城を築いて入ったとされる(後に苗木城に移る)。また、飯羽間城から遠山友忠が入城している。友忠の父であり苗木城主の遠山友勝が没すると、友忠は阿寺城を子の遠山友重に譲り苗木城へ移った。
 1574(天正2)年、武田勝頼の家臣である木曽義昌に攻められ落城し、友重も討死したことで自然廃城となった。岩村城の遠山十八支城の一つ。
 城跡が北から南に向かって直線状に郭が並び、一ノ郭跡の南の櫓台のような高みに御嶽神社が祀られている。土塁や竪堀,堀切などの遺構が残されている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1552年・1574年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
遠山直廉 F829 遠山友忠 F829 遠山友勝 F829
遠山友重 F829 木曽義昌 G210

 

【C-GF050】阿寺城跡
 西側と東側の2方向から登るルートがある。写真ギャラリーは西側から攻めたかたちで写真を並べたが、実は東側から斜面を登り尾根伝いに城跡へ出た。車は東側に停めたため、下りも同ルートをとりたかったが途中で迷い、やむなく西側に下りることとした。山から下りて小川に出会い、橋はないため何とか石の上を渡って濡れずに済んだが、最後に階段(2番目の写真の所)を下りた瞬間、草で見えなかったがその地面がぬかるんでおり靴がはまって足が抜けなくなった。靴を脱いで手で靴を引っ張り出したが、靴の中と靴下が泥まみれになり、その状態で山の反対側の車まで歩くという苦い思い出になってしまった。小川を無事渡って安心し油断してしまったようだ。

 

【C-GF050】阿寺城跡

【C-GF050】阿寺城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

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▲城跡西側からのルート入口

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▲階段を登る

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▲小川を渡る(御獄神社登山道の案内板)

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▲城跡の北側から登る

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▲四ノ郭

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▲三ノ郭

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▲三ノ郭の虎口

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▲左へ廻り込んで二ノ郭へ進む

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▲二ノ郭

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▲主郭

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▲主郭(先に御嶽神社)

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▲御嶽神社

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▲石垣

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▲切岸

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▲堀切

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▲東からの登城ルートは画面右から左へ進む

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▲登城口(右へ入る)

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▲尾根を進む

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▲堀切を経て御嶽神社へ出る