鴛鴨松平氏墓所
おしかもまつだいらし ぼしょ (Graves of the Oshikamo-matsudaira Family)
【K-AC138】探訪日:2020/11/13
愛知県豊田市幸町隣松寺
【MAP】
〔駐車場所〕
鴛鴨城主だったことから鴛鴨松平家と称されるが、西福釜松平家の名称が一般的である。松平親光(親光は親忠の子とされるが、一説に信光の子ともされる)を始祖とする松平氏の庶流。親光(1530年死去),親康,親久と続き、4代目の忠久のときに徳川家康の命令で西尾城主である酒井正親に属し、子孫は酒井氏の家老となった。1563(永禄6)年に勃発した三河一向一揆では、親久,忠久父子は徳川軍の一員として奮戦し勝利に貢献している。だが、その2年後に親久が死去し、鴛鴨城は廃城となった。 同所には、親康の娘が嫁いだ榊原長政の墓所と、忠久の娘で松平忠吉の養母となった於美津の墓所も並ぶ。
【史跡規模】
【指 定】【国 宝】 【国重文】
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲
▲松平親康の墓