六田館(東御所)跡
ろくたやかた(ひがしごしょ)あと (Rokuta Residence [Higashi Gosho] Ruins)
【R-ME005】探訪日:2020/10/25
三重県津市美杉町下多気28
【MAP】
〔駐車場所〕
六田館は東御所とも呼ばれており、北畠氏館跡の東に位置する。霧山城を築いた北畠氏の別邸ないし一族の館とみられているが、築造年代,館主は定かではない。
1576(天正4)年11月25日、三瀬の変にて北畠具教が三瀬御所で殺害され、同日、田丸城へと呼び出した長野具藤(具教次男)・北畠親成(具教三男)・坂内具義(具教娘婿)ら北畠一門も暗殺された。一連の粛清の手を逃れた北畠の将たちは北畠政成の守る霧山城に集結し抵抗を試みたが、織田信長は即座に羽柴秀吉,神戸信孝,関盛信ら15,000の兵を送り込んで霧山城を包囲し、12月4日には霧山城は陥落し城下も灰燼と化した。六田館もこのとき焼失したと考えられる。現在は水田なっており、周囲より一段高くなった館跡の周囲には堀跡が残る。
また、館跡の一角に北畠具教の娘で織田信雄の正室となった雪姫(千代御前)にまつわる雪姫大明神と稲荷大明神が祀られている。父,兄弟の死を知った雪姫は東御所で自害しようとするが、御所内の桜の木に縛りつけられた。伝承では、そこに白狐が現れて雪姫を救い、姿をくらましたという。一部史料には伊予道後にて1594(文禄3)年7月6日に亡くなったとあるが、定かではない。また、信雄と雪姫の子とされる織田秀雄は1583(天正11)年の生まれとされるため、この伝説を雪姫のものとするのは無理がある。