伊勢上野城跡

いせうえのじょうあと (Ise Ueno Castle Ruins)

【C-ME052】探訪日:2020/9/30

【C-ME052】伊勢上野城跡 三重県津市河芸町上野2640

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-ME052】伊勢上野城跡

   築城時期,築城者は定かではないが、1548(天文17)年の記録に分部氏から三間氏にこの城が預けられたことが記されている。1568(永禄11)年の織田信長伊勢侵攻後、1570(元亀元)年、織田信包が津城の仮城として分部光嘉に築城させた。1580(天正8)年、津城の完成により、信包が居城を移したため、分部光嘉が城代となり、1594(文禄3)年に信包が近江へ改易になると、光嘉が城主に任ぜられて独立した城となった。1619(元和5)年、光嘉の養嗣子の光信が近江国大溝藩へと移封となったため、廃城となった。
 なお、小谷城の浅井長政が滅亡の後、長政の妻であるお市の方と娘の茶々,初,江は信包に預けられ、一時この城で過ごしたとされてきたが、近年の研究では上野城に滞在していたとされるのは誤りで、守山城(尾張国)で過ごしていたのが正しいとされる(上野城跡の説明板では、浅井長政の死後、上野城の信包に預けられ、信長の死後に尾張へ移ったとされる)。
 城は標高30mの台地上にあり、台地の東側は断崖状になっており伊勢湾を一望でき、他の三方は谷に囲まれている。東西230m,南北120mの規模で、本丸は80m四方の高台となっており、低い土塁と北西隅の櫓台状地を備えている。本丸跡には現在は展望台が設けられている。東側に二の丸が置かれ、その東側には幅20m近い空堀が造られており、北側に入り込んだ谷は古図には池と書かれていて、南,西の谷とともに城を囲む自然の堀を形成している。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1548年・1570年・1580年・1594年・1619年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
織田信包 OD03 分部光嘉 F040 分部光信 F040
浅井江与(江) F526

 

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▲虎口

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▲虎口

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▲本丸跡

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▲本丸跡

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▲本丸跡

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▲南側の土塁

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▲北側の土塁

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▲櫓台に建つ展望台

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▲櫓台に建つ展望台

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▲遠くは浜松まで見えるとか....

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▲展望台からの眺望

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▲展望台からの眺望

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▲本丸跡東側

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▲二之丸跡

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▲二之丸跡

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▲二之丸跡

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▲二之丸跡東の傾斜

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▲城域東側

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▲南東の展望エリア

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▲二之丸跡下にある寺院跡

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▲二之丸への通路

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▲空堀跡

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▲城域西側(二之丸南隅)

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▲本丸跡南隅

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▲城域東側

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▲城域南東部