羽黒城跡
はぐろじょうあと (Haguro Castle Ruins)
【C-AC124】探訪日:2016/4/2
愛知県犬山市大字羽黒摺墨2
【MAP】
〔駐車場所〕
1201(建仁元)年に梶原景親によって築かれたとされる。梶原景親は源頼朝に仕えた鎌倉幕府の重臣梶原景時の2男・景高の子である。梶原氏は1200(正治2)年、鎌倉を追われ上洛するさなか、駿河国清見関での戦いに敗れて一族の多くが討死した。そのうち景高の子・豊丸が乳母に連れられて羽黒へ落ちのび、長じて景親と名乗り、現在の興禅寺(梶原氏の菩提寺)の東側一帯に城を構えた。
梶原氏は羽黒一帯に勢力を持ち、織田信長に仕えた梶原景義の頃には羽黒三千石を領していた。しかし、1582(天正10)年、梶原景義が本能寺の変で織田信長に殉じたことで羽黒梶原氏は滅亡した。
1584(天正12)年の小牧長久手の戦いの緒戦である羽黒合戦で一帯は焦土と化したが、羽柴秀吉方によって砦として修築され、山内一豊,堀尾茂助が守将となっている。
城跡は竹林となっている部分と興禅寺の一部で、南端の土塁のような高台に石碑が建っている。北側には堀跡のような窪地が残されている。