鑑真和上御廟
がんじんわじょう ごびょう(Mausoleum of Ganjin Wajo)
【K-NR005】探訪日:1995/4.1・2010/3.27
奈良県奈良市尼辻南町4-10
【MAP】
〔駐車場所〕
763(天平宝字7)年5月6日、波乱の生涯を日本で閉じた唐代の僧人で日本における律宗の開祖である鑑真和上の御廟である。
中国の揚州(現・江蘇省)に生まれ、14歳で得度し大雲寺に住む。18歳で道岸から菩薩戒を受け、20歳で長安に入る。翌年、弘景について登壇受具し、律宗・天台宗を学んだ。渡海(渡日)以前には、4万人以上の人々に授戒を行ったとされている。
8世紀前半の日本では正式な授戒の制度は整備されておらず、私的に出家得度する私度僧が増え社会秩序の乱れにつながっていた。733(天平5)年の遣唐使と共に渡唐した普照と栄叡という留学僧は、742(天平14)年10月に揚州の大明寺の高僧・鑑真に会い、渡日して正式な伝戒を行っていただける弟子を推薦してほしいと申し出るも、その志をもつ者はおらず、鑑真自ら渡日することを決意する。しかし、唐からの出国は国禁を犯すことでもあり、船の難破の可能性もあった。渡航計画は何度も失敗を繰り返した末、753(天平勝宝5)年、6回目の渡航計画で遂に日本に帰る遣唐使船への乗船が叶い、琉球を経て同年12月、鑑真らは薩摩国秋妻屋浦に上陸した。このときには、鑑真は失明し既に66歳になっていた。
翌754(天平勝宝6)年2月、難波津にたどり着き、同年4月、東大寺大仏殿前で、聖武太上天皇,光明皇太后,孝謙天皇らに菩薩戒を授け、沙弥,僧に具足戒を授けた。鑑真は755(天平勝宝7)年から東大寺唐禅院に住した後、759(天平宝字3)年に現在の唐招提寺の地を与えられた。のちに大僧都に任じられ、大和上の尊称を贈られた。
763(天平宝字7)年5月に唐招提寺にて死去。享年76であった。御廟は唐招提寺の北東にある。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 奈良時代 |
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関連年号 | 763年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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鑑真和上 | **** |
国宝・鑑真和上坐像(唐招提寺蔵)と「鑑真和上東征伝絵巻」の一部