唐招提寺

とうしょうだいじ(Toshodai-ji Temple)

【T-NR016】探訪日:1995/4.1・2010/3.27

【T-NR016】唐招提寺 奈良県奈良市五条町13-46 <📲:0742-33-7900>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-NR016】唐招提寺

   759(天平宝字3)年、苦難を乗り越え来日した鑑真和上を開基として新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡に創建された。
 当時(8世紀前半)の日本では正式な授戒の制度は整備されておらず、私的に出家得度する私度僧が増え社会秩序の乱れにつながっていた。733(天平5)年の遣唐使と共に渡唐した普照と栄叡という留学僧は、742年10月に揚州(現・江蘇省)の大明寺の高僧・鑑真に会い、渡日して正式な伝戒を行っていただける弟子を推薦してほしいと申し出るも、その志をもつ者はおらず、鑑真自ら渡日することを決意する。しかし、唐からの出国は国禁を犯すことでもあり、船の難破の可能性もあった。渡航計画は何度も失敗を繰り返した末、753(天平勝宝5)年、6回目の渡航計画で遂に日本に帰る遣唐使船への乗船が叶い、琉球を経て同年12月、鑑真らは薩摩国に上陸した。このときには、鑑真は失明し既に66歳になっていた。
 翌754(天平勝宝6)年2月、難波津にたどり着き、同年4月、東大寺大仏殿前で、聖武太上天皇,光明皇太后,孝謙天皇らに菩薩戒を授け、沙弥,僧に具足戒を授けた。鑑真は755(天平勝宝7)年から東大寺唐禅院に住した後、759年に現在の唐招提寺の地を与えられた。のちに大僧都に任じられ、大和上の尊称を贈られ、763(天平宝字7)年5月、波乱の生涯を日本で閉じた。数え年76であった。
 平安時代中期以後、戒律護持が廃れたため唐招提寺は衰亡した。中興の祖とされるのは、律宗高僧の覚盛である。覚盛は1243(寛元元)年に舎利会の創設や鑑真の遺徳顕彰などを行い、さらに翌年に正式に当寺に入寺して再興した。寺観の本格的な復旧整備を行ったのは覚盛の法灯を継いだ証玄で、諸伽藍の修理や仏像の造立などに尽力し、戒壇の創設も行った。
 14世紀の南北朝時代以降は、度重なる戦乱によって寺勢は再び傾き、寺領も多くが収奪され再び衰退した。江戸時代中期に入り、護持院隆光が唐招提寺で授戒を受け、隆光に帰依した第5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院は唐招提寺にも帰依し、これを庇護して修理を行い、1698(元禄11)年には戒壇院を再興している。その一方で、たびたび地震や雷火などの天災による被害を受け、1802(享和2)年の火災では東塔などの重要建築を多く喪失した。
 南大門を入ると正面に金堂、その背後に講堂がある。かつては南大門と金堂の間に中門があり、中門左右から回廊が出て金堂左右に達していた。金堂・講堂間の東西にはそれぞれ鼓楼と鐘楼がある。講堂の東方には南北に長い東室があるが、この建物の南側は礼堂と呼ばれている。講堂の西にあった西室、北にあった食堂(藤原仲麻呂家の施入)は今は失われている。この他、境内西側には戒壇、北側には鑑真廟,御影堂,地蔵堂,中興堂,本坊,開山堂、東側には宝蔵,経蔵,新宝蔵,東塔跡などがある。
 金堂は奈良時代(8世紀後半)建立の寺院金堂としては現存唯一のものである。鑑真ともに来日した如宝の造営とされ、寄棟造,本瓦葺きで、大棟の左右に鴟尾を飾る。正面7間,側面4間(「間」は柱間の数)で、手前の7間×1間を吹き放しとすることがこの建物の特色である。堂内は広い部分を占めて須弥壇があり、その上に仏像が並んでいる。中央に本尊・盧舎那仏坐像、向かって右に薬師如来立像、左に千手観音立像の3体の巨像を安置するほか、本尊の手前左右に梵天・帝釈天立像、須弥壇の四隅に四天王立像を安置する(すべて国宝)。盧舎那仏,薬師如来,千手観音の組み合わせは他に例がない。
 講堂は入母屋造、本瓦葺きで正面9間,側面4間。760(天平宝字4)年頃、平城宮の改修に伴って平城宮の東朝集殿が移築された。御影堂には鑑真の肖像彫刻(国宝)を安置する。建物は興福寺の有力な子院であった一乗院の宸殿で、1649(慶安2)年の建立されている。
 本堂の北東方向に鑑真和上の御廟がある。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡:唐招提寺旧境内(1967年12月5日指定)

     世界遺産:奈良の文化財の一部(1998年登録)

【国 宝】

  金堂(附:旧鴟尾2箇,旧部材22枚,古材11点)

  ・講堂(附:蟇股4箇、高座1対、古材53点)

  ・鼓楼(附:厨子、古材21点) ・経蔵(附:古材9点) ・宝蔵(附:古材4点)

  ・乾漆鑑真和上坐像(御影堂安置)

  ・乾漆盧舎那仏坐像,木心乾漆千手観音立像,木心乾漆薬師如来立像(以上金堂安置)

  ・木造梵天・帝釈天立像,木造四天王立像(所在金堂)

  ・木造薬師如来立像 1軀,木造伝衆宝王菩薩立像 1軀,木造伝獅子吼菩薩立像 1軀

   木造伝大自在王菩薩立像 1軀,木造二天王立像 2軀(計6躯)

  ・舎利容器

     白瑠璃舎利壺 1口/方円彩糸花網 1枚/金亀舎利塔 1基 

【国重文】

  〔建造物〕礼堂,旧一乗院 宸殿 殿上及び玄関

  〔絵画〕 ・絹本著色十六羅漢像など 4点

  〔彫刻〕 ・木造弥勒如来坐像,木造厨子入釈迦如来立像など 25点

  〔工芸品〕・鼉太鼓縁,鉦鼓縁,金銅舎利容器,金銅法具類,勅額など 19点

  〔書跡・典籍、古文書、歴史資料〕・根本説一切有部戒経・老母六英経など 12点

関連時代 奈良時代

鎌倉時代

江戸時代:前期 江戸時代:中期
関連年号 759年

1243年

1698年 1802年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
鑑真和上 **** 普照 **** 栄叡 ****
聖武太上天皇 K308 光明皇太后 F001 孝謙天皇 K308
新田部親王 K307 覚盛 **** 証玄 ****
隆光(河辺隆長) **** 徳川綱吉 TG03

 

【T-NR016】唐招提寺  
 

 

【T-NR016】唐招提寺

 

金堂内部の諸仏(Wikipediaより)

中央の盧舎那仏坐像の右に薬師如来立像、左に千手観音立像、手前右に梵天立像、左に帝釈天立像

【T-NR016】唐招提寺 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

金堂 金堂 金堂 金堂 金堂 金堂(裏手) 屋根の鴟尾 屋根の鴟尾 鼓楼 礼堂 講堂 経蔵 鑑真和上御廟