畑ヶ谷砦跡
はたがやとりであと(Hatagaya Fort Ruins)
【C-SZ146】探訪日:2024/9.15
静岡県掛川市下土方畑ヶ谷
【MAP】
〔駐車場所〕畑ヶ谷集会所の駐車場を利用できる。
『家忠日記』によれば、1580(天正8)年10月に徳川軍による高天神城奪還に向けて高天神城の南方に築いた砦のひとつの可能性が高い。6月にはすでに高天神六砦が築かれていたが、9月の攻撃開始後、さらに前進させた砦を築いている。当砦の周辺には畑ヶ谷東砦,畑ヶ谷西砦,長谷砦が確認されている。ちなみに、畑ヶ谷はもとは「旗ケ谷」と表記されていたという。丘陵の上に兵たちの旗が立ち並んでいる光景が想起される。
砦は高天神城大手の南方わずか1kmの標高51m,比高12mの丘陵上に位置する。当然ながら砦北側に横堀,竪堀,堀切などの防御を備え、主郭から南に3郭,4郭が同一尾根に続く。4郭の西側の階段状地形は後世の畑造成地とされている。主郭の北西には一旦途切れた尾根上に細長い2郭がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1580年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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徳川家康 | TG01 |
北側は幅広の水路が通り進入できないため、東から進入することになるが、訪れた季節は草木が背丈ほど鬱蒼と茂り、どこから入っていいかしばらく悩んだ。すこし透けている個所から、思い切って進入すると、ちょうど空堀,竪堀がある主郭の下であった。一旦入ると比高12mのため、すぐに尾根に出ることができる。南の3郭,4郭には容易に行けるが、北西の2郭には密な竹藪を通り抜けなければならない。全体的に細長く多くの兵は駐屯できないように思う。
畑ヶ谷砦縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)