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楠木正勝 | 楠 正具 |
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父祖伝来の志を継いで心身を旧南朝に捧げ、王事に尽瘁した。一説には1379年に出家し、傑堂能勝と称したとされる。しかし、1390年には楠正儀没後、右馬頭として、楠氏の棟梁として登場し1399年11月に起こった応永の乱では大内義弘を助けて和泉国の堺で戦っている。17才の時、戦場でひざに敵の矢をうけてから感ずるところがあって、25才の時に仏門に入る。後に越前の竜沢寺の梅山聞本禅師について、修行をつみ、40才の時、耕雲庵を建て、周囲に杉の木を沢山植えた。聞本禅師は、このことを聞いて霊樹山耕雲寺と改めるよう伝えた。弟子には、石瀬の種月寺の南英謙宗、滝谷の慈光寺の謙窓慶字、上田の雲洞庵の虚廓長清など。 |
4代・楠正威,5代・楠正充,6代・楠正忠に続く7代目の楠城主である。伊勢侵略をもくろむ織田信長に激しく抗戦するが、その後形勢不利となった主君の具教は信長と和議を結んだ。 |