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田村宗良 | 田村建顕 |
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寛永14年(1637年)4月19日、陸奥仙台藩の第2代藩主・伊達忠宗の3男として誕生した。寛永16年(1639年)、父の命で1,500石の仙台藩の重臣・鈴木元信の家系である鈴木家の名跡を継ぎ、志田郡大崎を治めた。慶安2年(1649年)に元服して鈴木宗良と名乗る。 |
万治3年(1660年)、父・宗良が陸奥岩沼藩3万石の大名に取り立てられると、世子となる。寛文4年(1664年)2月21日、元服して宗永と名乗り、同年11月28日、4代将軍・徳川家綱に御目見する。 |
田村村隆 | 田村村資 |
元文2年(1737年)5月23日、陸奥仙台藩の第5代藩主・伊達吉村の5男として青葉城にて誕生した。幼名は幸五郎。寛保2年(1742年)に一門登米伊達家当主・伊達村倫の養子となって伊達村候と名乗り、のち村勝に改名する。 |
宝暦13年(1763年)1月3日、仙台藩一門第五席・登米伊達家9代当主・伊達村良の長男として仙台にて誕生した。幼名は保之助。 |
田村宗顕 | 田村顕普 |
天明4年(1784年)5月2日、陸奥仙台藩重臣・中村村由の次男として誕生した。幼名は紀三郎。父・村由は第6代藩主・伊達宗村の8男で、天明6年(1786年)に近江国堅田藩主・堀田正富の養子として迎えられ、堀田正敦となる。その際、紀三郎は仙台藩に残されている。 |
父の宗良が岩沼藩主になってから生まれた子で、父は延宝6年3月26日(1678年5月16日)に死去する。その後、仙台藩士で宮城郡蒲生を領する蒲生和田家の和田房長の跡を継いで和田定長と称した。 |
田村村房 | 田村顕彰 |
兄の泰顕は村房が生まれる前の享保元年(1716年)に本家の一関藩第2代藩主・田村誠顕の婿養子となり、その8年後に顕普の次男として村房が誕生する。享保10年8月2日(1725年9月8日)に兄の泰顕が亡くなると、本家の誠顕は宇和島藩伊達宗贇の次男である田村村顕を養子に迎えたため、村房が本家の養子になることはなかった。享保18年(1733年)に父が死去するとその家督を継ぎ、旗本寄合席に列して徳川吉宗に初御目見を済ます。 |
一関藩主は田村宗顕が相続していたこともあり、文化3年12月26日(1806年2月14日)に養父・田村顕承の家督を相続して小普請入りする。文政4年(1821年)に書院番士になり、文政6年(1823年)に進物番となる。 |