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| 小槻隆職 | 小槻有家 |
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保元3年(1158年)頃、左少史に任ぜられるが、応保元年(1161年)、兄・小槻永業の摂津守辞任と引き替えに佐渡守として地方官に転じ、史巡に与るために積み重ねていた官史としてのキャリアを止められてしまう。 |
建長4年(1252年)兄・小槻淳方が没したことから、後を継いで左大史に任ぜられ大夫史となる。その後、30年近くに亘って大夫史の地位を占め、この間、穀倉院別当,記録所勾当,修理東大寺大仏長官も務めたほか、能登介,豊前守を兼ねた。また、後嵯峨上皇や後深草上皇の上北面にも仕えている。 |
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小槻千宣 |
壬生晨照 |
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正安2年(1300年)父・統良が出家しまもなく没するが、千宣は若年であったためか大夫史を継ぐことはできず、大宮流の小槻伊綱が単独で大夫史の地位を占めた。 |
従五位下に叙爵後、民部権少輔・主殿頭を経て、永享7年(1435年)左大史に任ぜられ、先任の左大史であった大宮長興を越えて官務小槻氏長者となる。その後、晨照は永享11年(1439年)従四位上、文安2年(1445年)正四位上と昇進するが、この間に長興が官務氏長者の人事について室町幕府に直訴した結果、文安2年(1445年)2月に長興が官務小槻氏長者となる。晨照はこれに強く反発し、11月には氏長者・官務の地位を奪い返すが、これ以後、壬生晨照と大宮長興との対立は久しく続くことになる。 |
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壬生胤業 |
壬生綱重 |
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京都の地下家の官人・壬生家(小槻氏)から出たとされる。この出自に確証はなく、胤業は毛野氏族の壬生氏(壬生公)の後裔という説もある。下野宇都宮氏の一族であり、横田氏庶流の壬生朝業の末裔とも考えられている。 |
主君・宇都宮忠綱の命で鹿沼氏を攻略し、鹿沼の支配を任され鹿沼城を本拠とする。しかし、宗長の日記によると永正6年(1509年)の時には既に壬生氏の鹿沼地方への進出が読み取れる事や、綱重の没するまでは、忠綱の父・宇都宮成綱が隠居の身ではありながら実質的な主君であったため、成綱の命で鹿沼を攻略した可能性も十分にある。また、「皆川正中録」では、壬生氏が鹿沼を治めたのは大永3年(1523年)の河原田合戦以降であるとされているがその時には綱重は没しており、どちらが正しいかは不明である。壬生城には、嫡男・綱房を置いた。 |
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壬生義雄 |
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父・綱雄は後北条氏と手を結び宇都宮氏からの独立を画策していたが、綱雄の叔父・周長は一貫して宇都宮氏への従属姿勢を取り、天正4年(1576年)、綱雄は暗殺され、周長が壬生氏本拠の鹿沼城主となる。同年、周長は続いて義雄の籠る壬生城を攻めたが、義雄が勝利し周長は殺害される。 |