| OE04:大江千古 | 土師身臣 ― 大枝諸上 ― 大江千古 ― 山村良道 | OE21:山村良道 | ● |

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| 山村良道 | 山村良利 |
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| 山村氏は大江氏の末流を称し、大江良道が近江国山村で長じたことから山村氏に改めたと伝えられている。良道ははじめ室町幕府に仕え、幕府衰退とともに任を辞して諸国を遊行したという。やがて木曽に至り木曽良元に仕え、永正12年(1515年)に須原館を襲った敵と戦って戦死した。 |
木曽谷に移った山村氏は千村氏・遠山氏らと婚姻し木曽氏の重臣となる。良利は甲斐国の武田氏との取次を務めている。 |
| 山村良候 | 山村良勝 |
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弘治5年(1555年)、木曾義康が武田信玄に降ると、父・良利は信玄に重用された。元亀3年(1572年)9月、武田氏の西上作戦に際し、木曾義昌は長峰峠を越え、日和田口より三木自綱を攻めてこれを破った。この時、良利・良候親子は檜田次郎左衛門を討ち取り、信玄から感状を貰い、美濃国恵那郡安弘見の3百貫、千旦林,茄子川の両地でさらに3百貫を与えられた。 |
祖父・良利と良候は木曾義昌の家臣であったが、元亀3年(1572年)の武田信玄の西上作戦において飛騨調略を成功させ、信玄から直接、美濃国恵那郡安弘見で3百貫、千旦林,茄子川の両地でさらに3百貫を与えられた。その後は父・良候と行動をともにしている。 |
| 山村良豊 | 山村良由 |
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慶長19年(1614年)、大坂冬の陣の時に9歳であったが、父の良勝に伴われ京都二条城において徳川家康に拝謁した際に、山村用済伜三九郎と名乗り、利発なる生れと賞められた。 |
寛保2年(1742年)3月6日、山村良啓の次男として生まれた。幼い頃から読書を好み、10歳の頃には昼夜を問わず読書にふけったため、侍医が心配して父・良啓に告げてやめさせようとしたが、返ってこれを悲しみ、食事をとろうとしなかったので、侍医も驚いて好きなようにさせたという。 |
| 山村とや(香詮院) | |
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田安徳川家初代当主・徳川宗武の側室。老中松平定信らの生母。実名はとや(登耶)。 |