推古天皇16年(608年)日本に渡来した隋使の裴世清が難波津に停泊した際に、大河内糠手,船王平とともに朝廷から派遣されて掌客(=接待役)を務めた。 推古天皇20年(612年)天皇の母親である堅塩媛を欽明天皇の陵に改葬した際に、第三番目に大臣・蘇我馬子のかわりに誄を述べ、第四番目を述べた境部摩理勢とともに賞讃されている。