TG21:徳川頼宣 | 徳川家康 ― 徳川頼宣 ― 松平頼純 | MT81:松平頼純 | ● |
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松平頼純 | 松平頼雄 |
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紀州藩主・徳川頼宣の3男として誕生。初代将軍・徳川家康は祖父。8代将軍吉宗の叔父、徳川家光や徳川光圀の従弟にあたる。 |
その人物像は、孝行心が深く方正で、非難の余地がない人だったことで史料は全て一致する。 |
松平頼致(徳川宗直) | 松平頼淳(徳川治貞) |
伊予西条藩の第2代藩主、のち和歌山藩の第6代藩主。官位は従二位・権大納言。西条藩主時代は松平頼致を名乗る。江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の父方の従兄に当たる。 |
伊予西条藩の第5代藩主、のち和歌山藩の第9代藩主。官位は従三位・参議兼右近衛権中将,権中納言。 |
松平頼謙 | 松平頼啓 |
安永4年(1775年)2月3日、和歌山藩主を継いでいた次兄の徳川重倫が隠居した。この時、重倫の子である岩千代(のちの治宝)はまだ幼少であり、代わりに叔父で先代藩主の松平頼淳(=徳川治貞)が和歌山藩主として転出することとなったため、それに伴い重倫の弟である金十郎改め頼謙が、頼淳の養嗣子という形で、同日西条松平家の家督および西条藩主を継いだ。 |
天明4年(1784年)12月23日生まれ。寛政9年(1797年)、同母兄で先代藩主の松平頼看が若死にしたため、その養嗣子として後を継いだ。寛政11年(1799年)に叙任する。藩政においては近藤篤山の弟・三品容斎を登用して藩校・択善堂の創設など文治政策に尽くした。また、多喜浜新田の開発なども行なっている。伊能忠敬の測量にも積極的に協力したといわれる。 |