MT33:松平信定 | 松平親氏 ― 松平信定 ― 松平忠重 | MT34:松平忠重 | ● |
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松平忠重 | 松平忠告 | 松平忠栄 |
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慶長6年(1601年)、遠江浜松藩主・松平忠頼の長男として生まれる。慶長14年(1609年)9月29日、従弟の水野忠胤の江戸藩邸での久米左平次と服部半八郎の刃傷騒ぎに仲裁に入った忠頼が刺殺されてしまった。この経緯により、忠重は幼少のためもあって末期養子による家督相続は許されず、改易となった。 |
寛保2年(1742年)、第2代藩主・松平忠名の三男として生まれる。長兄は早世し、次兄の加藤明堯は庶兄だったために他家に養子に出されたため世子に指名され、明和3年(1766年)12月の父の死去により、明和4年(1767年)2月20日に家督を継いで第3代藩主となる。 |
文化元年(1804年)12月、第3代藩主・松平忠告の九男として生まれる。文政12年(1829年)に甥で第5代藩主の松平忠誨が死去したため、その養子となって家督を継いで第6代藩主となる。天保8年(1837年)に大塩平八郎の乱が起こると、土井利位に従って鎮圧に貢献した。天保13年(1842年)には大砲7門を鋳造している。 |
桜井忠興 | ||
文久元年(1861年)8月6日、父・忠栄の隠居により、家督を譲られて第7代藩主となる。慶応4年(1868年)1月の戊辰戦争では朝廷に恭順し、所領を安堵された。2月に徳川氏との訣別の証として姓を桜井と改称する。 |