MT29:松平乗清 | 松平親氏 ― 松平乗清 ― 松平信孝 | MT30:松平信孝 | ● |
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松平信孝 | 松平信治 |
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明暦元年(1655年)、丹波国篠山藩2代藩主・松平典信の庶長子として誕生した。 |
元禄3年(1690年)に先代藩主・信孝が死去した際、母方で甥に当たることからその養嗣子となって跡を継いだ。宝永元年(1704年)、陣屋を小島に移した(小島陣屋)。このため、正式に小島藩となったのは、この信治の時代からである。また、奥詰,御小姓,大番頭となった。 |
松平昌信 | 松平信義 |
享保16年(1731年)、父の死により跡を継いだ。宝暦5年(1755年)、白隠慧鶴を龍津寺に招き維摩会を催した。宝暦9年(1759年)から新たな人材登用や新田開発,賦役強化,支出の削減を中心とした藩政改革を行なうが、年貢を増徴(生籾五分ずり)しようとしたため、明和元年(1764年)の大坂加番中に領内で百姓一揆が起こり、明和2年(1765年)に年貢軽減要求を受け入れ、改革の責任者(用人の石川儀右衛門と郡奉行の佐野勘右衛門)を追放するなどして百姓側の要求を受け入れた。こうして、改革は失敗に終わった。昌信は白隠に帰依し、歴代藩主の中で唯一、龍津寺に墓所がある。 |
先代藩主・昌信の娘と結婚して婿養子となる。明和8年(1771年)6月27日に昌信が没したため、同年8月29日に跡を継いで藩主となる。 |
松平信敏 | |
元治元年(1864年)、先代藩主の松平信書の死去により、その養嗣子となって跡を継ぐ。徳川家達が駿河府中に封ぜられたため、慶応4年(1868年)7月13日、上総桜井に移封となる。桜井の藩政では治水工事に尽力した。明治2年(1869年)、滝脇に改姓。明治4年(1871年)、廃藩置県により桜井藩は廃藩となる。明治17(1884年)年、子爵に列する。明治20年(1887年)、37歳で死去した。 |