MT15:松平親則 | 松平親氏 ― 松平親則 ― 松平近清 | MT17:松平近清 | ● |
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松平清直 | 松平正世 |
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天正16年10月15日(1588年)、長沢松平家の老臣として功を成した父の近清が死去し、その遺領100貫を相続する。長沢松平家の宗家であり主筋でもある松平康忠が死去し、跡目として徳川家康の息子の忠輝が養子として入嗣し、清直はそのまま忠輝に仕えた。忠輝が信濃国川中島を領す頃、清直は領内で代官を勤めるなどしている。皆川広照,山田重辰(義兄)と共に「上総介殿の三臣」と称された。 |
天正15年(1587年)長沢松平家の一族・松平近清の子として誕生。長沢松平宗家を継いだ松平忠輝に兄・清直と共に仕えたが、元和2年(1616年)、忠輝の改易によって正世たち家臣は離散した。 |
松平正直 | |
福井藩士・松平正泰の次男として生まれる。安政5年(1858年)に家督を相続。大番頭を務める。慶応3年(1867年)、坂本龍馬が福井を訪れ、三岡八郎(後の由利公正)と面談した際は、当時、八郎が幽閉中であったことから、用人であった正直と、目付の出淵伝之丞が立ち会った。戊辰戦争に会津征討越後口軍監として従軍。明治2年(1869年)、福井藩少参事となる。 |